【引退ブログリレー】 -BLUE PRIDE- #99 八代亜慧
平素よりOB・OGの皆様並びに保護者・関係者の皆様、多大なるご支援頂き誠にありがとうございます。副主将の八代亜慧です。
先日の名大戦で敗退し、引退を余儀なくされ、4年間を捧げてきたラクロス部での生活の幕を閉じました。
僕たちの学年はスタッフ含め9人しかおらず、何よりも後輩たちに頼ってしまう場面が多々あり、それを受け止めてくれた後輩たちには感謝しかありません。ほんとにありがとう。
そんな後輩たちに全国という最高の景色を見せてあげれず引退してしまったことが唯一の心残りです。
前置きはこの辺にして、この4年間を振り返ると今まで生きてきた中で1番山あり谷ありで、濃過ぎる学校生活でした。
ここからは4年間の懐古で長くなりますがご容赦ください。
1年生
僕は高校のときから兄の影響でラクロスをやりたいと思い、入学式前に練習に参加し、1番乗りしました。
『4年間で化け物と呼ばれるくらい強いプレーヤーになって全国で活躍する』というのが最初の目標でした。
入学してから夏まで、毎日りょうさんとさとしさんと壁当てやショット練をして気づいたら夜の8時なんてことがよくありました。
そのおかげか群馬遠征ではかずきと一緒にチームのベストプレーヤーを受賞してかなり順調なラクロス人生を歩んでいました。
しかし、8月5日山中湖合宿の前日の練習の前十字靭帯と半月板を損傷しました。
怪我した現実を受け止めきれず、何度も練習しようと試みましたが不可能でした。
3週間が経ち膝はグラグラでしたが、痛みは引いたので、練習を少しずつ再開しサマーリーグまでという期限付きで死に物狂いで練習しました。練習中何度も激しい痛みと闘いながら、学年で決めたサマーリーグ優勝を勝ち取るために走り続けました。
サマーリーグは無事優勝しましたが、正直ここで終わりかもしれないと思っていました。
サマーリーグ後はラクロス禁止のリハビリ生活でした。みんなは新しいポジションに就くためにいろんな練習をしていて、同期のみんなは強くなっていくのに僕はグラウンドの端でスクワット。今思うとあの時が4年間で1番で地獄でした。
11月に手術をして復帰まで1年という宣告を受けました。辛かったですが、同期や先輩が励ましてくれたり、入院中にもらった千羽鶴や海斗さんから受け継いだ99番のユニフォームを見ていると頑張らないとと思い、なんとか1年やりきれました。
2年生
新型コロナウイルスが猛威を奮い練習がほとんどありませんでした。コロナが一時的に治り、練習再開した直後にすぐに特別試合があり2つ上の先輩たちとほとんど練習できずに引退されてしまい唖然でした。
その頃ちょうど復帰をしましたが、すぐに左肩を脱臼し、また戦線離脱、そしてまたコロナオフになりました。そして3月6日コロナオフ明け1回目の練習で逆の前十字靭帯と半月板を全て断裂しました。前回よりひどく、医者からは来年のリーグ戦(今期)に間に合えるか分からないと言われました。病院の帰り道1人で泣きました。
『どう頑張ってもミディとして長時間走り続けのは無理、スタッフになるか、しかし選手を諦めきれない。』
こんな葛藤の中出た答えが、フェイスオファーへの転向でした。今ではこの選択が最高の選択だとは気づきませんでした。
3年生
3年生1日目から入院生活という世にも珍しい大学生活が始まりました。
1ヶ月半の後、グラウンドに戻り復帰するためにやれることを始めました。
フェイスオファーに転向するにしても、生半可では行けないと思い、目標をたてました。
『継続と証明』
これは、みんなにも伝えたいことなので最後に言います。
フェイスオファーで強くなるために、食トレ、筋トレをひたすらやりました。67kgだった体重は3ヶ月で82kgになり、圧倒的なパワーを得ました。リハビリと筋トレをしすぎたせいか、超人的な回復をし、術後4ヶ月でリーグ戦に出ました。試合経験0で行った中部大戦で1度だけ出さしてもらい、初めて試合でフェイスオファーとして声援を受けた時感動しすぎて泣きそうでした。声援のおかげか綺麗なブレイクをしてフェイスオファーとしての人生を開幕しました。
少し天狗になっていて次の愛大戦でスタメンをやらせてもらいましたが、全くうまくいかず迷惑をかけてしまいました。人生って難しい。
リーグ戦FINAL4名大戦で先輩が引退し、自分がもっと強ければ、先輩たちを支えることができ、全国に行けたかもしれないと、試合で負けて泣くのは初めてでした。
そして最上級生になりました。
4年生
副主将になりチームの柱として支える立場になりました。といっても副主将は何をすれば良いか明確に分からず、まずは目に見えてチームに貢献できることをしようと思いました。
朝のスタッフの備品を運ぶ、人が足りない時の他ファミリーのグラメ、呼びかけ、練習の盛り上げに重点を置いてやりました。
結局明確な答えは見つかりませんでしたが、少しでもチームに貢献できたなら本望です。
そしてプレーヤーとしてはチームを牽引する選手にならなければいけない責任感がありました。特にフェイスオファーとしては1プレイで試合の流れを左右してしまうため、『強さ』にこだわりました。関東や関西に武者修行に行き、自分の弱さを実感することでまたひとつ成長していくこと。それを繰り返すことで少しずつ着実に成長しました。
最終的には関東を倒すという目標は、対戦できずに終わり、名大にも敗退しましたが、今までの努力は間違ってなかったし、名大戦ではベストな状態で挑めたので悔いはないです。
最後に途中で出た『継続と証明』という目標について話していこうと思います。
『継続は力なり』という言葉がありますが、この言葉は最難関な難題だと思います。しかし、実現できれば今までに無いものを得ることができる。僕はこれを『証明』する存在になりたいと考えました。
そこで僕は筋トレに着目しました。怪我でラクロスができない分、他で圧倒できるもの、それが筋肉です。
地元のしょぼいジムに通い詰めて10kgのダンベルを振り続け、気づけば腕は41cmでした。
何度も吐きそうになったり、意識が飛びそうになっても続ける。ここまで追い込める人間は僕しかいないという自負があります。だからこそ得れた圧倒的なパワー。全国のフェイスオファー界隈でもパワーでは負け無いという自信につながりました。
したことに満足するのではなく、どれだけのものを得られるかに満足する。楽な方に甘えるな。でもみんなでやれば楽しいよ。
この言葉は忘れないでください。
後輩にラクロスの技術的なことはほとんど教えれませんでしたが、『継続』これは僕の体を毎日見てきた人には伝わったでしょう。
辛いこともたくさんあります。でも乗り越えれば良い物が得られます。絶対です。
自慢の後輩たちへ
同期や先輩後輩たちとの楽しい時間を大切にしてください。辛い時楽しい時いつでもそばにいるのは同期や仲間です。
そして来年、そのチームで一段と強くなって全国に行き、輝いている姿を楽しみにしています。
#99 八代亜慧
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